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『発達障害』という概念について

 

発達障害を取り巻く現状

発達障害という言葉が世間的に知られるようになってきました。
そのことが、人々に問題意識を持たせ、発達障害関係の法整備につながっていく社会の流れは、素晴らしいと思います。
そして近年では、成人の発達障害と、それにまつわる夫婦間のトラブル(「成人の発達障害とカサンドラ症候群」をご参照ください)なども注目されるようになってきました。
しかし一方で、正しい理解が伴わず、発達障害について間違ったイメージが広まっていると感じることも少なくありません。

たとえば、自閉症スペクトラム障害(ASD)という発達障害があります。
自閉症スペクトラム障害のお子さんには、感覚異常や実行機能(遂行機能)の障害、こだわり、心の理論(相手にも心があるという理解)の欠如といったさまざまな特徴があります。
しかし、メディアで取り上げられるのはその中でも心の理論、つまり『相手の気持ちがわからない』や、『空気が読めない』『コミュ障(コミュニケーション障害の略語)』という部分が主なようです。
やはりコミュニケーション社会ですから、それを見聞きした人に、“周囲にいるちょっと変わった人”を連想させるような取り上げ方は、メディアとして正しい姿勢なのかもしれません。多くの人が興味を持つことですし。

しかし、人によりますが、自閉症スペクトラム障害がある人でも、発達過程のどこかで心の理論を獲得します。
その人なりに、周囲とのコミュニケーションを通して、失敗を繰り返しながら学んでいくんですね。
なので、『相手の気持ちがわからない』という部分をことさらに強調し、まるで本人が協調性なき悪人であるかのように広めるのは違うと思うんです。
また、心の理論ばかりが取り上げられることで、感覚異常や実行機能(遂行機能)の障害といった、その他の部分については周知されず、本当に必要な場面で援助や配慮が得られなくなりかねません。

そして世の中には、複数の特徴が箇条書きされていて、『この中で〇個以上当てはまったら発達障害』というようなチェックリストが出回っていたりします。
これらの中には、根拠があると思われるものもあれば、まったく根拠なく作られていると疑われるものもあるようです。
ただし、根拠があると思われるものであっても、『〇個以上』という基準の根拠が不明であったり、その基準値を境として、いきなり『発達障害である(ではない)』という極端な判定となることには、違和感を覚えます。
『スペクトラム(連続体)』の理解で取り上げたように、現在は、発達障害にはそのような理解がされないものがありますので、そこは注意深く情報を選択していく必要があるかもしれません。

上に書いてきたことは、『発達障害』という概念のみが独り歩きしているなぁ、と私個人が感じ、心配していることです。

発達障害は、厳密にいうと、まだはっきりとした原因がわかっていません。
原因のいくつかは想定されてきていますが、まだそれらについて議論されている段階なのです。
ただし、原因に遺伝などの『生まれつき』の要素が深く関係していることは間違いなさそうです。

それ故に、『将来的にずっと変わらない』というネガティブな面が強調され、親御さんに対して、『障害ではなく個性』であると、受け入れを強要するかのような雰囲気が強くありました。
そしてそのことが、逆に、お子さんの障害を受け入れがたくしてきた感が否めません。

ここも、発達障害という概念の独り歩きが、はっきり表れた部分だといえるでしょう。

しかし、子どもは成長するものです。“先”があります。
たとえ評価をして、お子さんに発達障害の特徴が強くみられたとしても、それはあくまで現時点でのことであり、先のことは誰にもわからないのです。

人は、周囲とのかかわりによって変化していけます。
ネガティブな面のみにとらわれず、ポジティブな面にも同等に開かれ、心に置いておく。
そんなスタンスが理想かもしれません。